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 吉野川橋は、昭和3年に開通し、徳島市内の幹線道路として利用されています。吉野川の河口から約5kmに位置し、17径間曲弦ワーレントラス形式により架設されています。全長は1,071mあり、橋脚の基礎工は井筒基礎(ケーソン基礎)で構築されています。
 吉野川橋が架橋される以前は、1キロにも及ぶ「古川渡し」と呼ばれる渡し舟で対岸の行き来をしていました。その後、木製の古川橋が架設されていましたが、洪水が起こる度に橋が壊されていました。そこで、現在の吉野川橋が架橋されることになりましたが、その起因は、大正8年に道路法が施行され、大正10年に徳島県の11大橋梁架設計画が策定されたことにはじまります。
 設計は、日本を代表する橋の技術者である「増田 淳」によって行われ、架橋当時は東洋一の長大橋を誇りました。増田淳は、香川県高松市に生まれ、東京帝国大学にて橋梁工学を学んだ後、アメリカの設計コンサルタント事務所に勤務し、橋の設計や施工に携わっています。帰国後、設計したおもな橋は80橋ほどあり、増田淳が手がけた徳島県の橋は、大正10年に計画された11大橋梁架設計画のうち、三好橋、穴吹橋、吉野川橋、那賀川橋、勝浦川橋、大松川橋の6橋となっています。
 現在、吉野川橋は架橋後90年を超えていますが、補修・補強などを行い、今でも重要な役割を担っています。橋と眉山とのコラボレーションが美しく、徳島市民に親しまれている橋の一つとなっています。

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